稲垣凛花 ひとりごと。

今日もちょっといいことありますように。

華のある人

「華のある人。」   

     

女性だったら、だれもが憧れますよね。「華」のある人。

その人がいるだけで、その場がぱっと明るくなる、視線が集まる、そんな人。

 

小さい頃から、太っちょさんで、目が細く、

哀しいほど、自分の容姿に自信がなかった私は、

気がつけば、きれいな人、素敵な人をみつけては、

そういう人たちをじっと観察するようになりました。

 

大人になって、多くの著名人を取材する仕事につくようになって、

ますます、その観察クセは強くなっていきました。

 

「どうして、この人たちは素敵に見えるんだろう? 何が違うんだろう?

鼻の形? 目がきれい? スタイル? 髪型? いやいや、話し方? 笑い方? 姿勢? 手の動かし方? 服の選び方? 性格と外見の関係は・・・?」

 

皮肉なもので、そういったなが〜い観察の積み重ねが財産となり、

今、私はこうしてペンを執るようになり、

そして、人の外見を変え、その人の潜在的な魅力を引き出す

「イメージコンルタント」なんて仕事をするようになりました。

面白いものです。

 

みなさん、コンプレックスは宝物ですよ。

 

まっ、それはさておき・・・

華のある人、についてお話をしましょう。

 

ちなみに、

「華のある人」と「派手な人」は違います。

また、「華のある人」=「美形」とは決して限りません。

そして、人はだれでも、着るもの、身につけるものひとつで

「華」をプラスすることができます。

自分に似合う色と形を知って、ちょっと上質なものを添えればいい。

意外と簡単です。

 

だけど、私たちが本当に欲しいのは、その人から薫り立つような「華」。

それは、外見を変えるだけでは生まれません。

 

■「華」ってなんだろう?

 

実は以前、エッセイストである光野桃さんの講演会に参加したとき、

「華のある人にはどうしたらなれますか?」と伺ったことがあります。

そのとき、光野さんは

「『華』とは『自分を開いていること』だと思う」

と答えてくださいました。

 

なるほど。私は膝を打ちました。

 

たしかに、華がある人はよく笑います。声も大きい。動作も大きい。

よく笑うから場が華やぐ、とも言えます。

それらは心を開いていていないとできません。

 

じゃあ、心を開く、って、どうすればいいのでしょう?

 

それは難しいけれど、自分をつくろうことをやめたとき、

開き出すような気がします。

 

「やっぱり、自分はこれでいいんだ」って、自分に OKを出す。

そんな密やかな「自信」が心に宿った瞬間に「華」は薫り立つのです。

 

そのためには、自分が克服したいところにむかって

トライ&エラーを繰り返しながら、自分なりの落ち着く場所をさがすこと。

すぐにはできません。自分にOKを出すには時間がかかります。

だから「華」がある人には、「強さ」や「根性」というのもどこか感じますよね。

 

いっぱいの失敗と、小さな成功の積み重ねから、「華」は宿るんです。

だから、周りの人を明るくする。

 

派手な人ではなく、やわらかな華のある人、

やっぱり憧れますね。

 

「オバサン」と「女のひと」の違い。

40代を過ぎた頃から、

いやいや、30代を過ぎた頃からだろうか。

オンナは、「オバサン」と呼ばれる様になる。

ひどいときは「おばはん」なんて呼ばれ方もする。

でも、不思議なことに、みんながみんな「オバサン」と

呼ばれるわけでもなく、いつまでたっても「女の人」と

呼ばれる人もいる。

 

例えば、吉永小百合さんに向かって

だれも「おばさん」とは言わないだろう。

「年齢を重ねても、やっぱりきれいよね・・・」

という羨望50%、自分と比べて落胆50%のため息が

あのCMが流れる度に、全国で渦まいているに違いない。

 

じゃあ、「オバサン」と「女の人」の違いはなんなのだろう。

 

そんなことをいつも私は考えている。

これは職業病だ。仕方がない。

 

結論から言おう。

それは、本人がどう呼ばれたいのか、どうありたいか、の

違いだ、と思う。

「女」でありたい、と思う「ココロ」が「女」をつくるのだ。

それを、放棄した途端に「オバサン」になり、

その先の「おばはん」へと転落していく。

(うん? これは関西だけか・・・?)

いとも簡単に。

 

歩き方、食べ方、話し方、笑い方、恥じらい・・・

そんな一つ一つが「女」と「オバサン」の違いを作っている。

ちなみに、先程あげたものは、全部、「意識」という範疇のものだ。

「外見」はそれらの「意識」がつくっている。

 

だから「外見」だけを若作りしても「オバサン」

は「オバサン」のままだ。

 

ちなみに、私は「女のひと」と呼ばれるより

愛ある「おばちゃん」と呼ばれるのが、最高だと思っている。

 

そして、「おばちゃん」と「オバサン」には違いはおおきい。

そこに「愛」やら「HAPPY」があるかないかで決まる。

 

ときどき・・・「女の人」

ベース・・・愛ある「おばちゃん」

これが、なんだか、一番いい気がする。

いやいや、これだって、なかなか努力が必要だ。

 

愛ある「おばちゃん」論、については、またじっくりと。

今日もHappy Face♪

 

 

 

 

 

 

 

人生、すべて出逢うものからできている!

よく「人生は、選択の連続だ。何を選択するかだ」って言われる。

たしかに。

でも、なんかそう思うと疲れちゃう。

すごく肩肘はって、「頑張って生きていかなきゃ!!」ってね。

 

でも、「人生は偶然の出逢いの連続でできている」

って思うと、ちょっと見えてくるものが違う気がするのよね。

「今日、誰と出逢えるだろう? わくわく♫」

「今日はどんなことがあるだろう? わくわく♫」

って思いながら、毎朝、起きるように意識してみると、

わくわく♫を自家発電できるようになるの。

そして、不思議と嫌なものがよってこなくなる。

これ、ほんとうだから!!

 

そう、毎日の出逢いが人生を創ってる。

朝つゆの美しさに立ち止まってみたり、

ホームでみかけたおばあちゃんの後ろ姿に何かを感じたり、

たまたま手にした本に号泣したり、

そんな感情のひとつひとつがあなたの顔と人生を創ってる。

 

人生はすてきな出逢いに満ちている。

 

そう信じて日々、歩んでいる人ほど、

やっぱりHappy Face ♫ なんだよね。

 

Happy Face

ツンツン美人より、

幸せそうな人のそばにいたい。

 

「あなたのそばにいたい」

「あなたと一緒にいるとなんか安心する」

「あなたといると元気になるよ」

「あなたの笑った顔が好き!」

「あなたの目尻の皺ってチャーミング♫」

「ほんと、あんたって、ノーテンキだよね」

 

うーん、どれもこれも最高の褒め言葉だ、と思う。

 

じゃあ、あなたもそんな人になればいい。

「どうやって?」

目指せ "Happy Face"♫