「無力感」は、大切に思うものがあってこそ。
「怒りはちょうど嘔吐のように、
内蔵の奥から嫌悪感や不快感をともなって
喉のあたりにせり上がってくる。
怒りと無力感は、奇妙なことに同じ源泉から湧き上る。
内蔵の奥に貼り付いたものから未分化の感情が生まれ、
せり上がってきて、途中で怒りに変わる。
自分が欲しいもの、大切に思うものから遠く隔たれていて、
永遠に近づくことができないという感覚、
それは最初必ず無力感となってわたしを静かに支配し、
力を取り戻すための具体的な方法を考えはじめるときに、怒りに変わる。
怒りはわたしに、何かを変化させろ、と強要してくる。
遠く隔たれている大切なものを引き寄せ、
近づく方法がきっとあるはずだという声が私の中で繰り返される。」
「欲しいものや大切に思うものから遠く隔てられているというのは、
ごく普通の感覚だ。
わたしたちは、欲しいものや大切に思うものと一緒にいる時間より、
遠く離れている時間の方がはるかに長い。
だから、どんな人にも無力感は必ず訪れる。
たいていの場合は、いろいろなことで気を紛らわせて、その事実を
忘れることで対応しているのだと思う。」
上記は『心はあなたのもとに』(村上龍)著の中の一節。
この表現、うまいなぁ・・・
とうなり、メモらずにはいられなかったもの。
欲しいものを手に入れ、
大切なものを囲い始めると
また、それもどうしょうもない
苦しさを生みはじめる。
人間はやっかいだ。
だから、おもしろいのだけれど。