稲垣凛花 ひとりごと。

今日もちょっといいことありますように。

眉間のシワに、小さな天使の手。

友人が3歳になったばかりの女の子を
連れて遊びに来てくれました。

おしゃまさんな彼女は
よーくしゃべり、よーく動きます。

なんともかわいらしくて、お膝にのせてお話をしていた
ときのこと。

突然、彼女の小さな小さな手が、私の眉間のところに。

「いたいの?」

と聞いてくれたのかな、と思うと

「いたいの、いたいの、どんでいけーーーーー」

といいながら、
私の眉間のシワを、やさしく、やさしく撫ではじめたのです。

私はしばしポカーン。
そして、なんとも嬉しくなって、そして、大笑い。

あらあら、私に刻まれたこの深いシワが
彼女にはイタイイタイ傷に見えたのでしょう。


「そうだよね。おばちゃんのココ、いたそうでしょう。
ありがとうね。うれしいよ」

思わずその天使をぎゅーって抱きしめてしまいました。


ここのところ、
大切な人に想いがうまく伝わらなかったり
自分のふがいなさにいらだったり、
いろんなことがあって
眉間にシワを寄せることが多くなっていた私。

でも、もうちょっと 笑わなきゃ。

「いたいの、いたいの、飛んでいけー」
で、おばちゃんの心から、いたいのがちょっと
飛んで行ったよ。

ありがとうね。

美しい「黒」の色気

黒は、あらゆる色の中で唯一、

着る人の本質を映し出す力を持った色。

 

美しい黒は、その人の美しさを引き出してくれます。

上質な素材に美しく染めあがった「黒」に出逢ったら

まずは手にとってみて。

 

そして、鏡の前で顔に合わせてみて

いつもより、ちょっと大人の女性に見える自分がいたら、

それは即、買いです。

 

きっと、長いおつきあいになるはず。

イランカラプテ

アイヌ民族の言葉に

「イランカラプテ」というなんとも心地よい響きの言葉があります。

「こんにちは」を意味するそうです。

 

ちょっと尻上がりに発音してみてください。

知らぬうちに口角があがって、

勝手に笑顔になっていますから。

 

もとの意味は「あなたの心にそっと触れさせてください」。

 

なんてあったかい。

 

 

 

 

ガハハ、と笑う人は魅力的だと思う。

私は「ガハハ」と笑う人が好きです。

口を大きくあけ、豪快に笑える人は魅力的。

銀歯がキラリ~ン、なんていうのも全くOK。

 

「生きている」、そう強く感じられる笑顔は美しい。

 

そういえば、私の親戚のおばちゃん。 

香川県の観音寺のいりこ漁の網元で育った方で

神戸に嫁いできてからは、義理の両親の介護で

苦労の連続だったのに

「ガハハ」とよく笑っていました。

 

祖父のおむつを替えるときも、

「おじいちゃん、あ~すっきりしたね」

といいいながら、ガハハと笑っていたっけ。

  

「ガハハ」

と、笑える人は、

自分の人生をどこかちゃんと腹の底で受け入れ、

何かを乗り越えてきんじゃないかと思うのです。

 

先日、イメージブランディングを担当させていただいた

弁護士の女性の方もよく笑われる方でした。

 

誰もが羨むような、いや、

ちょっとひいちゃうような素晴らしいキャリアの方だったけれど、

「ガハハ」と笑う姿が実にチャーミングで、

お会いした瞬間からファンになってしまった。

 

そして、そんな彼女にも学生時代に苦悩の数年間があることを知り、

妙に納得する。

 

強くないと「ガハハ」なんて笑えないのだ。

 

 

私は、まだ上手く「ガハハ」と笑えない。

上品ぶっている小さな自分がいる。

 

あなたの背中に。

あなたの日々の挑戦が実りあるものとなりますように。

 

それと同時に、目先の正否に一喜一憂することなく

何のために、なぜ、そのことをしているのか。

本質をいつも見失うことなく、

しっかり地に足の着いた仕事を積み重ねていけますように。

 

そうして初めて到達できる説得力ある世界に

まっすぐ、すこやかに進んでいけますように。

 

そんな思いで、いつもあなたの背中を見守っています。

井上靖氏が小説を書いた理由

「命を賭ける価値があるのは、自分を表現することだけだ」

これは、小説家 井上靖氏の言葉です。

 

井上氏は京都大学卒業後、毎日新聞に入社。

日中戦争勃発と同時に徴兵され、戦地へと赴きますが、

脚気になり1年後に帰国。

その後、また新聞社で記者として働くものの、

本当に自分がすべきことは何なのか、

苦悩し続ける日々を送っていたそうです。
 
そして終戦後、生き残った井上氏は40歳のときに決意します。


「命を賭ける価値があるのは、自分を表現することだけだ」
こうして、小説家 井上靖が誕生することに。

 

命を賭けられるものはなにか。
それをつかんだとき、人生は俄然、輝きだします。

 

まずは、「それは井上靖だからでしょ」

という自分の心の声を封印することからはじめてみては(笑)

 

 

 

 

 

 

「無力感」は、大切に思うものがあってこそ。

 

 「怒りはちょうど嘔吐のように、

内蔵の奥から嫌悪感や不快感をともなって

喉のあたりにせり上がってくる。

怒りと無力感は、奇妙なことに同じ源泉から湧き上る。

内蔵の奥に貼り付いたものから未分化の感情が生まれ、

せり上がってきて、途中で怒りに変わる。

自分が欲しいもの、大切に思うものから遠く隔たれていて、

永遠に近づくことができないという感覚、

それは最初必ず無力感となってわたしを静かに支配し、

力を取り戻すための具体的な方法を考えはじめるときに、怒りに変わる。

 

怒りはわたしに、何かを変化させろ、と強要してくる。

遠く隔たれている大切なものを引き寄せ、

近づく方法がきっとあるはずだという声が私の中で繰り返される。」

 

「欲しいものや大切に思うものから遠く隔てられているというのは、

ごく普通の感覚だ。

わたしたちは、欲しいものや大切に思うものと一緒にいる時間より、

遠く離れている時間の方がはるかに長い。

だから、どんな人にも無力感は必ず訪れる。

たいていの場合は、いろいろなことで気を紛らわせて、その事実を

忘れることで対応しているのだと思う。」

 

 上記は『心はあなたのもとに』(村上龍)著の中の一節。

この表現、うまいなぁ・・・

とうなり、メモらずにはいられなかったもの。

 

欲しいものを手に入れ、

大切なものを囲い始めると

また、それもどうしょうもない

苦しさを生みはじめる。

 

人間はやっかいだ。

だから、おもしろいのだけれど。